宮崎県宮崎市清武町 静かな山の中にある
小さな自宅サロンforest salon indigo
世界で1番大嫌いだった自分から、
世界で1番大好きになれた自分へ、
を想像しながら創造する。
自分嫌いから自分好きクリエイター
中武恭子です。
hug
相手を抱きつつむこと。
私がhugと出逢ったのは28歳で起きた交通事故の時でした。
交差点に差し掛かった時運転席に車が突っ込んできて、
目を開けたら2つのエアバッグが開いていて、
車内は白い煙に包まれていました。
事故の現場検証の時、
警察の方が死んでもおかしくない事故だったと言われたほど、
車体の右半分は大破していました。
だけど不思議なことに運転席の窓は割れておらず、
ケガ1つしていませんでした。
でもその後は左半身の重度の神経障害で、
入院加療リハビリを余儀なくされました。
丁度その頃は、独身で色んなことで悩んでいた時期でした。
あの時、事故をしなければアロマの世界にはいかなかっただろうし、
あの時、事故が無ければ刺々しいままの自分だったと思います。
自分の本音が言えなくて、
いつも窮屈な世界に自分がいて、
これからどうしようかなと悩んでいた時の出来事でした。
リハビリに専念するために7~8年勤めた最初の勤務先を退職。
そのときにhugを教えてくれた友人Aくんと出会いました。
Aくんは、誰からも愛されている人で、
いつも周りには人がいて暖かな雰囲気に包まれている人でした。
世の中には、
こんな人がいるんだと衝撃を受けたほど、
真っすぐで純粋で愛情深い人でした。
Aくんは、色々な海外に1人で旅行し、
語学力、コミュニケーション力、ユーモアもあり、
魅力的な人柄でした。
いつもみんなと別れ際に、
1人1人hugをしていました。
hugなんてしたことが無かった私には未知の世界。
でも両手を広げて笑顔でほほ笑むAくんと、
hugをしました。
肩や背中、頭をポンポンとタッチする仕草に、
心からホッとするような感覚がありました。
どうしてなんだろうと不思議に感じていたら、
後になって蘇った記憶がありました。
hugで蘇る記憶。
それは「沢山、よしよし、してほしかった」という、
幼い頃の寂しいキモチでした。
ポンポン、と撫でる優しさに、
心までスーッと緩んでいくように、
次第に心が穏やかになっていきました。
私の生活の中には、
hugという行為はなく、
挨拶や握手が主でした。
28歳の時、hugに出逢い、
それからはhugに対する抵抗がなくなりました。
hugをすると、
恥ずかしい・照れくさい、という感情がありましたが、
大丈夫だよ・安心して・ありがとう、という感情が育っていきました。
私の人生を変えてくれたAくんも、
社会に反発・抵抗して、刺々しくて、人生に嫌気がさして、自分探しの旅に行った一人。
海外でいろんな人との出会いの中で、Aくんもまた衝撃を受けて帰国して、
人生が変わったと言っていました。
自分嫌いな私は、Aくんのおかげで自分を抱きつつむことを覚えました。
どんな自分も、丸ごと抱きつつむこと。
そんなAくんはアメリカ合衆国に永住していて、
ハーフの可愛い女の子、男の子のパパとなりました。
宮崎に帰郷した際に久しぶりに再会したら、
飛びきりの笑顔と温かいhugで挨拶。
もっとスケールの大きい素敵な人に、
なっていました。
私のことをリアルに知っている人は、
hugをしている私をしっています。
辛い時も、
楽しい時も、
どんな時も、
hugをします。
私がhugをして泣いた人は沢山います。
「こんな風にお母さんに抱きしめられたかった」
と涙をボロボロ流して泣いた人もいれば、
「抱きしめられると、安心して、涙が出ます」
と涙をポロポロ流した人もいます。
もっともっと、
私達は自分も、相手も、抱きつつんでいけたら・・と思っています。
もっともっと、
泣いていいんだよって言っています。
もっともっと、
甘えていいんだよって言っています。
もっともっと、
心から自分のことをゆるし、愛し、認めていけたら・・と思っています。
自分で自分を抱きつつんで、
自分を大切に丁寧にしていけたら、
この世界はどんなに優しい世界になるかなって。
あなた自身にhug、
大切な人とhug、
子どもとhug、
愛する人たちと皆でhug。
大きく両手を広げて、
どんなあなたも、
どんな自分も、
抱きつつみます。
不安が出てきても、
大丈夫、大丈夫。
自分をもっともっと好きになるために出てくる感情。
自分が嫌いって思うことは、好きになりたい証だから。
私でよければ、あなたの声をきかせてね。
オープンハートの世界は優しいです。
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